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【定価7,800円・川口鼈甲店】新品 本べっ甲 PETIT(プチ)ゆびわ

【定価7,800円・川口鼈甲店】新品 本べっ甲 PETIT(プチ)ゆびわ[浏览Yahoo!拍卖页面]

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卖方资料

雅虎卖家:hmkwg收藏卖家

卖家评价:246 3
店铺卖家:个人卖家
发货地址:長野県

長野県 到 京都 的运费参考

三边和 运费
60厘米 ¥55
80厘米 ¥67
100厘米 ¥80
120厘米 ¥91
140厘米 ¥104
160厘米 ¥116

以上仅供参考,具体以卖家规定为标准

商品参数

  • 拍卖号: h1134437379
    开始时的价格:¥6 (100日元)
    个数: 1
    最高出价者:
  • 开始时间: 2024/4/29 9:36:30
    结束时间:
    提前结束: 有可能
    商品成色: 二手
  • 自动延长: 会
    日本邮费: 卖家承担
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商品をご覧いただきありがとうございます。
わたくしどものお店の創業は明治14年(1881年)でございます。
創業から数えて141年になります。
当店は長崎市浜町で鼈甲製品の専門店として営業させて頂いてまいりました。
2001年に4代目店主であるわたくしが過労で倒れ意識が戻ったときには
腎臓が壊れてしまっていて人工透析を導入されていましたので
気力・体力の充実を図れなくなった自分にはお店の維持は無理であると判断して
鼈甲の専門店を閉店致しました。
クレジットカード会社.日本ダイナースクラブ勤務で退職後に東京から軽井沢へ移住した友人から
”天井のないホスピタル”といわれている信州浅間高原の小さな田舎町での転地療養を勧められ
2002年に長野県北佐久郡軽井沢町に転居
体調の好転に伴い 夏の間だけ避暑地軽井沢の老舗ホテルで“Nagasaki Presents.長崎からの贈り物”というコンセプトで小さな展示会をさせて頂いてまいりました。
しかし年齢とともに会場の設営や撤去が体力的に厳しくなってまいりましたので
2006年をもってお客様への対面販売を終了致しました。

1994年にワシントン条約で鼈甲の原材料である玳瑁(タイマイ)亀の輸入が禁止されてしまいました。
玳瑁はすべて赤道直下の国々からの輸入品です。
そのため鼈甲職人が備蓄しております玳瑁を使いきってしまったところで
そう遠くない将来 鼈甲は日本国内の店頭から姿を消してしまう希少価値のある逸品です。
わたくしごとですが
わたくしどもには子供がいませんので 当店はわたくしの代で鼈甲販売を終了致します。
4代続いた川口鼈甲店としての終焉を迎えるにあたり
このままわたくしが商品を保管し続けておしまいにすることは良くないのではないか
と思うようになりました
それで手元にございます商品をわたくしどもが考えております製造原価プラスαという価格設定で
Yahoo!ショッピングや楽天市場で販売させて頂くことではなくて
鼈甲のアクセサリーを末永くご愛用していただける方々が
ご納得して頂けるお値段でお買い上げくださることが良いのではないかという主旨で
安価なお値段でYahoo!オークションに出品させて頂くことに致しました。

1969年(昭和44年) 長崎国体御出席のためご来県される昭和天皇の当店へのお立ち寄りというお話を
大正時代から宮内省各宮家へのお出入りを許されていたという繋がりで 
宮内庁から長崎県庁を経由して直々にいただいたとき
祖父は悩み抜いた末に
「陛下を長崎浜町商店街のなかにお招きするということは 警備のためにアーケード街一帯を一日閉鎖することになる。
 そうなると商店街の店々に多大な迷惑をかけてしまう。
 百貨店2軒を含めて150店すべてのお店の一日の売上を迷惑料として保証する余力はない」
という理由で辞退したのだそうです。
そういう経緯がございましたので 昭和天皇は江崎べっ甲店へお立ち寄りになられました。
その代わりに長崎県庁の応接室で陛下にご覧いただくための置物 「鯛の菓子入れ」 をおつくりしました。
この事実は祖父が同業者のなかでいちばん親交の深かった垣立忠雄氏から祖父の忌明け法要の酒席で伺いました。
「当時 君のおじいさんは お酒の席で寂しそうな顔をして
 『ほんとうは陛下にいらしていただきたかった。
  でも 自分の名誉と周りの人達への迷惑を天秤にかけたとき どうしてもできなかった。
  苦渋の決断だった … 』  
 と呟いていた。
 いまの若い人たちにはわからないと思うけど
 僕や君のおじいさんが若い頃は 家の仏壇や神棚に天皇陛下の御写真が飾ってあって
 その御写真に向かって毎朝礼拝していた。
 天皇陛下は神様だった」
後日 祖父は皇居で昭和天皇とご拝謁 数分間お話をさせていただくという名誉を賜わりました。
会話の最後に
「健康で永く生きて 素晴らしい鼈甲をつくり 後世に遺してくれることを 朕は希望します。お元気で … 」
という御言葉を賜わったそうです。
祖父は無口で一日じゅううほとんど口を利かない人でしたが
晩酌のときには別人のように饒舌になり 多種多彩な話題について広く深く語っていました。
しかしこの一連の出来事をわたくしには一言も口にしませんでした。
後日)祖母から
「陛下とのお約束があるから元気にならなければ。
 陛下より若い自分が陛下よりさきに逝くわけにはいかない」
と亡くなる前日まで自分を奮い立たせるように小さな声で言っていたことを聞かされました。
商品をおつくりするとき一切の妥協を許さない という他を寄せ付けない厳しい眼光の奥には
陛下との御約束を守らなければいけないという信念があったのだろうと思います。

劣勢な状況下で最後尾の箇所を担う大役を 殿 (しんがり) といいます。
わたくしに務まることではないということを踏まえつつ
一人でも多くの方々に接着剤ではなくて水と熱と圧力を駆使しておつくりした鼈甲に触れていただきたい
という思いで商品をご紹介させていただいております。


営業許可免許
特定国際種事業者(象牙・タイマイ類等販売免許) 事業者番号 B-196 

川口鼈甲店ホームページ   http://kawaguchi-bekkou.sakura.ne.jp/index.html



本べっ甲製ゆびわ
サイズ 13号(K18の12号相当)
フロント 幅 約1.2センチ(最大部) 
バック  幅 約2.5ミリ(最薄部)
厚さ 約2ミリ(最厚部)


エンジェルの羽をモチーフにした清らかで優しい印象のゆびわでございます。
ブローチやバレッタに使用する最高級の中南米カリブ海産の原材料でおつくりしました。
フロント部分は厚みを十分にお取りして
スッキリとして斑がない澄んだあめ色をしています。
あめ色と茶色の配色が自然で
小さいながら美しいスタイルに仕上げています。
おつけいただきましたときにはサイドの茶色がお指を細く長く見せ
エレガントなしぐさを演出いたします。
おひとつだけでも
また シンプルなK18などの細いリングを重ね付けなさられましても
お似合いになられるかと存じます。
この商品はパリの街中のショウウインドウを飾るアクセサリーをイメージして
おつくりしたものでございます。

鼈甲は英語では tortoiseshell トータスシェル
フランス語では ecaille エカイユ
ドイツ語では Schildpatt シルトパット
イタリア語では tartaruga タルタルーガ
スペイン語では carey カレイ
ポルトガル語では carapaa de tartaruga カラパサ・デ・タルタルガ
オランダ語では schildpad スヒルパッドゥ
ラテン語では testudinis dorsum テストゥーディニス・ドルスム
ロシア語では черепаха チリパーハ
中国語では 海甲 
です。
鼈甲は中国で考案されて西洋人に愛用された美術工芸品 
自然の美しさを生かした文化のひとつです。


【鼈甲・ふらんす物語】
1980年代後半 わたくしが27~28歳の頃 長崎でのお話です。
7歳年上の本田時夫氏(和洋菓子 長崎梅月堂)と月に1~2回 お酒をご一緒させて頂いていました。
本田氏は青山学院大学経済学部卒業後に2年間パリの菓子店で修行をしていた人でした。
お酒がすすむとパリの話になりました。
様々なジャンルの話題になりました。
わたくしは本田氏が話している言葉の意味がまったく理解できませんでした。
深い教養の持ち主の正面に立つとき メッキは一瞬で剥げ落ちてしまうものです。
自分が粗野で無教養の取るに足らない存在であることを思い知らされました。
その当時 梅月堂のキャッチコピーは
「おいしい文化を贈ります。長崎梅月堂」 でした。
文化とは何なのか
それすらわかりませんでした。
「考えていても答は出ない。兎にも角にもパリに行こう」
と思いました。
一週間の予定で単身パリに出かけました。
シャンゼリーゼ通りの街路樹の豆電球の照明
金物屋さんの店頭に並べてあるやかんの並べ方がおしゃれ
エールフランスの飛行機のシートカバーの布のカットが丸みを帯びていて色気がある
見るもの聞くもの 感動の連続でした。
センスの良さ オシャレ感覚 芸術に彩られた装飾 
同じ人間社会 長崎や東京で見る光景と同じはずなのに何かが違う
何がどう違うのかを表現する言葉は見つからないけれど何かが大きく違う
もしかしたらこれが文化というものなのかもしれない
首を傾げながら長崎に帰りました。
酒席で話す本田氏の会話の内容 空気感が理解できるようになりました。
そして 
稼業である鼈甲のお店を継承していくためには パリで通用するデザイン力が不可欠なのではないか
と思うようになりました。
鼈甲の製作技術は中国で考案された技法です。
中国からヨーロッパへ渡り西洋人に珍重されました。
そして江戸時代にヨーロッパから長崎に伝わりました。
明治になり外国からいらしたお客様に自由にものを販売できるようになりました。
鼈甲はヨーロッパより長崎のほうがつくりが緻密で優れている
と西洋人に認められたことで鼈甲細工は長崎で文化の華を咲かせました。
そういう歴史を鑑みるとき
川口の鼈甲が再び西洋人に評価されても良いのではないか
という想いが日に日に膨らんでいきました。
1980年代後半 ミラノやベニス パリには鼈甲を売っているアクセサリー店が何軒もありました。
パリで生まれ育った女性 パリジェンヌに認めていただいて初めて文化と呼べるようになるのではないか
パリの表通りの何処かのお店にショーケース2個でいいから川口の鼈甲を展示販売したい
そしてゆくゆくは小さなお店 PETIT(プチ)ショップを出したい
室町時代後期に京都で創業した高級羊羹の老舗 虎屋黒川氏
和菓子という日本の文化をパリの人たちに押し付けるのではなくて
フランス人の好みに合わせて和菓子を提供するお店をパリで展開していて
とらやさんと川口では歴史も伝統もすべてにおいて比較にならない。
それでもとらやさんの10000分の1ぐらいの規模であれば川口でもやれるはず
日本の美 日本の文化を彩る暖簾の末端を飾れるようになりたい
それがわたくしの商いに対する揺るがない指針になっていました。
年に一度 パリに出かけていました。
店舗の家賃などを具体的に調べました。
パリやロンドン在住の日本人のデザイナーと商品の打合わせをしていました。
パリに支店がある暖簾である川口の長崎本店はどういう店構えであるべきか
という視点で本店をリニューアルしました。
それでも周りの人に話すとそのままシャボン玉のように宙に舞い上がって消えて無くなりそうな気がしたので
ほとんど誰にも話すことなく独りで準備をしていました。
シャンゼリーゼ通りの一角に小さなお店を出したときに
報道機関に発表するつもりでした。
しかし 平成3年(1991年)6月19日 突然鼈甲の国際商取引全面禁止が決まりました。
夕方の遅い時間に長崎新聞と西日本新聞の取材がはいりました。
翌朝の朝刊には
「長崎の老舗 川口鼈甲店の若い店主 苦悩の表情で頭を抱える 店舗をリニューアルしたばかりなのに」
という文字が踊りました。
取材に際して
「パリにお店を出したいという夢が潰えました」
とは言えませんでした。
悪いときには悪いことが重なるものです。
不幸なことが続きました。
閉店まで追い込まれました。
そして2016年4月からヤフーオークションで皆様にお求めいただけるようになりました。
わたくしは1959年生まれです。
60歳台半ばに差し掛かります。
腎臓が壊れてしまっていて人工透析で命を繋いでいます。
あと何年生きられるか 最期のカウントダウンにはいっていることを感じます。
わたくしが彼岸へ旅立つとき
小柄なパリジェンヌを意識しておつくりしていた10,000円以下のPETIT(プチ)シリーズの商品が
沢山手元に残ります。
廃棄処分するか骨董品店でガラクタと同じ扱いで販売されるか
二つに一つです。
べっ甲専門店のホームページに掲載してあるお値段が高くないアクセサリーの写真を見ました。
丸や三角や四角の模様をそのままぶつ切りにしただけの立体感のないもの
若い頃にべっ甲の原産国で現地の職人がつくっていたものに毛が生えたようなデザインのものばかり
人はそれぞれの高さを目指して別々の山を歩いています。
十人十色 いろいろな趣味嗜好の方がいて良いのかもしれませんが
同業他店の商品と川口の職人がおつくりした商品
物心つかない子供の頃から豊かな芸術性に囲まれて育ち
知らず知らずのうちにい審美眼を身につけているパリジェンヌを意識したPETITシリーズ 
ものが違う 次元が違う そんな気がしてなりません。
これまで10,000円以下の商品はあまり出品してきませんでした。
週に1点 身体に負荷がかからないペースで出品を続けてまいりました。
しかし 自分がいつまで出品や梱包をする体力を維持できるだろうかと思うとき
PETITシリーズの商品にも光が当たって欲しい
お気に召していただける方に愛用していただきたい
という思いが強くなってきました。
これからときおり PETIT という冠をつけて
1990年代 定価10,000円前後で販売していた商品を出品させていただきます。
ほかのべっ甲店の安価な商品は日本の南方海域やインド洋の
黒っぽくてきれいではない原材料でできています。
素材がべっ甲である ただそれだけのものばかりです。
川口の10,000円前後の商品はカリブ海産のあめ色が混じった上質のきれいな原材料でおつくりしています。
製造原価やコスト度外視 きれいでなければ川口の鼈甲ではない
 という創業者から継承してきた姿勢に基づいています。

夢を語るのは歩き始めてから
何ひとつかたちにできなかったのに
手が届かなかった夢を口にするのはいかがなものか
と思いつつ
2024年の夏 4年に一度のオリンピックで世界のアスリートがパリに集うというお祭に寄せて
30年以上前のフランスパリにまつわる小恥ずかしい昔語りを綴らせていただきました。
シンガポール・香港の鼈甲職人と
英語と漢字による筆談で語り合いました
インド洋に浮かぶモルディブ・セイシェルの鼈甲職人と
拙い英語で語り合いました。
カリブ海のドミニカ・ハイチ・ジャマイカの鼈甲職人と
英語と片言のスペイン語で語り合いました。
彼等は箱型のべっ甲製品をヨーロッパへ輸出していました。
ヨーロッパ在住の架橋の鼈甲職人と膝を突き合わせて語り合いたくて
ベニスやミラノ・パリの鼈甲を販売しているお店に足を運んで店主にお願いしたのですが
紹介してもらえませんでした。
川口の創業者である曽祖父が外国人に向けて書いた鼈甲の解説文
Tortoise-shell  ではなくて Bekkou
という固有名詞で統一されていました。
祖父は 世界の名品 鼈甲  という言葉をあちこちで使っていました。
鼈甲細工において世界の頂点を目指す
という信念を感じます。
中国から世界に広がった鼈甲
世界に点在していた鼈甲職人たち
いま現在 どうしているのでしょう。

Googleで 「パリ シャンゼリーゼ通り」 というキーワードで検索してみました。
忘れることのできない懐かしい光景がたくさん表示されました。
鼈甲とは川口の商品を指す言葉
口にこそしたことはありませんでしたが
祖父の立居振舞から感じ取ることができました。
そしてその想いをかたちにするため
美意識に長けたセンスの良いお洒落な街 パリ を彩る輝きのなかで
ショウウィンドウの一角を飾れる暖簾になりたかった
日米経済摩擦による原材料の輸入禁止という運の悪さに苛まれることなく
パリシャンゼリーゼ通りのショーケースに商品をお並べしていることを思い描きながら
ヤフーオークションで商品紹介をさせていただきます。


この商品は定形外郵便で発送させていただきます。



2023年9月 諏訪中央病院名誉院長の鎌田實先生の新刊 「ちょうどいいわがまま」 より抜粋】
「行き詰まってきたら動いてみる」 という章のなかで
わたくしどものお店のこと 
わたくしが病に倒れてからいまに至るまでの経緯
そして ヤフーオークションでの営業再開 
滅びゆく鼈甲という文化について触れていただいています。
「川口の生き方は 一言でいうと わ が ま ま
 我 が ま ま  我が思うままに 生きたいように生きている」
と仰っていただいたのは昨年の夏でした。
わたくし もうすぐ高齢者になります。
きれいな鼈甲製品を皆様にご紹介させていただける
そういう穏やかな日々が一日でも永く続いてほしい  と
思いました。


今年の9月25日に出品いたしましたバレッタ式の髪留めを落札してくださった方からメッセージを頂きました。
ヤフーオークションを介して何点もお求めいただいているお客様です。
お仕事でカリブ海の国々へ何度も足を運ばれている方です。
鼈甲の原材料であるタイマイ亀の原産国で
現地の鼈甲職人がつくったアクセサリーを目にしたことがきっかけで
日本の鼈甲にも関心を寄せてくださるようになった方です。
「本日お品物を受け取りました。
 お写真よりも迫力のある鼈甲で、透明感がすごくて、
 いつもながら川口さんの品質にかける決意を感じました。
 これだけの厚みのある透明な鼈甲を重ねるのは大変なことだろうと想像しました」
そのむかし 鼈甲への審美眼をお持ちの愛好者の方々はたくさんいらっしゃいました。
時代が移り変わりました。
鼈甲に関する良し悪しの目利きに長けた方々は減っていくことはあっても増えていくことはないように思います。
そんなさなか わたくしどもの職方の仕事を正当に評価していただいて
そのことを文字にして伝えてくださる方がいらっしゃることを
心の底から嬉しく思いました。



【落札者様とのメッセージ交換のご紹介】
下の商品を落札してくださったお客様とのメッセージのやりとりを商品説明欄に転載させていただく旨を
お客様にご了承いただきましたので紹介させていただきます。
【定価38,000円・川口鼈甲店】新品 本べっ甲 かんざし

初めまして、落札者です。
川口鼈甲店様の商品をヤフオクでずっと前から拝見していて、素敵だなと思っていました。
当方30歳手前ですので貴方様の客人としては若い方でしょうか。
日本の女ならば己の黒髪に鼈甲の一つくらい挿してみたいと思っておりいつか手に入れたいと思っておりましたが、これからは国内に残ったタイマイが無くなっていくばかりという話を耳にしてから、購入するときに満足のいくものが手に入るのは今が最後かもしれないと思い色々と探しておりました。
 本当は晴れの日につけるような派手なものが好みで派手なものばかりが素晴らしいと思い込んでいたのですが、今回のオークションの説明文を拝読して考えを改めました。
ご祖父様の「鼈甲は オーソドックスで単純なデザイン 一見 簡単そうに見えるもののほうが実際につくるのは難しい。 左右対称に見えるようにつくれる職人は少ない。」というお言葉はまさにその通りだと考えさせられました。
褻の日に使える上等なものを纏うことこそ最高の贅沢なのかもしれないと思います。
そのような贅沢を味わえるのは今回のオークションでのご縁あってこそですので、とてもありがたく思っております。
 

この度はご落札いただきましてありがとうございました。
中略
このかんざしは和装洋装どちらでもお使いいただけるものでございます。
お気に召していただければ幸いでございます。
2016年の4月末からヤフーオークションで週に1~2点 出品させていただいてまいりました。
30歳代半ばの方のご落札は何回かございましたが
20歳代のお客様は初めてでございます。
長崎でお店をいたしておりました頃は 旅情に誘われて若い方にもいらしていただいていましたが
オークションで入札していただけるとは思っていませんでした。
メインのお客様は40歳代以降のオバサマ方です。
60歳代半ばぐらいまでです。
「若い人が鼈甲に興味を持ってくださることはないだろう
 そうなると鼈甲に携われるのはあと10年が限界だろう」
と思っていたさなかでしたのでほんとうにびっくりいたしました。
商品紹介に記載いたしておりますように
わたくしの身体(腎臓)が壊れてしまったことでやむなく閉店いたしましたので
1990年代後半の鼈甲業者が勢いを失う前の商品群が
タイムカプセルで保管されたようなかたちで手つかずでわたくしの手元に残っています。
しかし 現在  鼈甲の原材料はほとんどありません。
未来のない業種業態で人が真剣にお仕事をしていく
より良いものをつくっていく
現実には出来ない相談 無理です。
レベルが下がるのは当然です。
勝手な独り言です。
良い細工の鼈甲製品を手に入れる方法は2つあります。
そのひとつは骨董品店で探すことです。
古き良き時代の優れた職人の仕事がそこここにあります。
ただし中古品です。
特に櫛笄は 使っていた人の髪の皮脂が付着してベタベタして脂臭い匂いがついています。
どんなに拭いてもとれません。
表面を削って磨き直しをすることで皮脂は取り除けますが
形が崩れてしまいます。
細工を入れ直して形を整える力量のある職人は現存しません。
腕の悪い職人が磨き直しをいたしますと
目が当てられないものになってしまいます。
もう一つの方法は わたくしどものオークションをずっと見ていただくこと
です。
まだまだ色々なバリエーションの商品がございます。
いまのペースで販売をしていくとき
わたくしが彼岸へ旅立ったあとにも商品はたくさん残る計算になります。
あなた様の後ろに 鼈甲を好いてくださる若い女性のお客様がたくさんいらっしゃる
と信じて
20年ぐらいは細く長く鼈甲を販売していこうと
先日頂いたメッセージを拝読して 強く感じました。
勇気づけられました。
感謝しています。
 

本日かんざしを受け取りました。とても丁寧に梱包して発送していただき、まことにありがとうございます。
子供に戻ったような心地でわくわくしながら開けました。
手に取って拝見いたしますとあまりに左右対称なので、これが人の手で圧着されて作られていることを忘れてしまうほどでした。
接着剤を使用しないでくっついているというのが不思議です。
梱包を開けた時に初めて鼈甲を触りましたので鼈甲が少しひんやりしているという事を初めて知りました。
上白の部分と黒のコントラストが美しくてうっとりいたしました。
やはりあめ色の鼈甲は黒髪にあいそうだなと思いましたので、今からこの簪を付けてお出かけするのが楽しみです。
もうすぐ三十路の当方ですが、二十歳代の落札が初めてと聞いて驚きました。
でも確かに、鼈甲の簪と言うと旅行先の資料館に展示されていたりドラマに出てきたりするもの、という印象があり、遠い存在だと思っている若い人が多いのかもしれません。
あるいは本物の鼈甲を見たことが無く、プラスチックのものしか見たことが無いので鼈甲の美しさを知らない人が多いのかもしれません。
ですが鼈甲に興味がある若い人はこれからも居なくならないのではないかと私は思っております。
「和装が好き」という私と同じくらいの年齢の友人もおりますし、旅行先で着物を着て歩く若い女の子を見かけることもここ数年で増えてまいりました。
そういった子達の中には私のように鼈甲の装飾品を手に入れてみたいと思っている人が必ず居ると思います。
もしくは、今はただ若くてお金がないだけで手に入れたいという夢を持っているひとが居るはずです。
ですから、川口様がこれからも長く鼈甲が隆盛を誇っていたころの装飾品を販売して下さるのは本当にありがたいことだと思います。
近い将来本来なら手に入れられなくなるはずの上質で新品の鼈甲のお品を、当時生まれていなかった人でも手に入れられる幸運を将来の若い人たちに伝えて下されば幸いです。
私もまた川口鼈甲店様のオークションを拝見させていただきたいです。
若輩者が釈迦に説法のように語ってしまって申し訳ありません。
今回は素敵な簪をありがとうございました。
このような時期でございますから、どうぞお体ご自愛くださいませ。
 

商品到着から20日あまりあと ゴールデンウイーク明けの午後 
着物姿でこのかんざしを髪に挿した後ろ姿のお写真が郵送で贈られてきました。
そのお写真を拝見してびっくりいたしました。
わたくしの手元にありましたときとはまったく違う別の趣がありました。
このかんざしを出品いたしますとき
人生をそれなりに長く生きてこられた方にお使いいただくことを想像していました。
そういう方々を美しく演出してくれるかんざし
そう思っていました。
しかし 実際は違うものになっていました。
老舗ブランドの着物ではなくて昨今の流行であるデザイナーブランドの着物
そしてかんざしがうまく似合っていました。
貴金属のアクセサリーは 身につける人を引き上げて輝かせてくれます。
鼈甲は 身につける方にそっと寄り添って 
その方の醸し出す空気に染まる というかんじがいたします。
鼈甲は 最初 思いの外ひんやりとした冷たい手触り感があります、
しかし  特に櫛笄は 身につけているうちにその人の体温で温かくなります。
温かいぬくもりのような感触です。
20歳代の女性が身につけるとき 20歳代の方に合う趣が出てきます。
30歳代 40歳代 50歳代 60歳代 70歳代 80歳代
このかんざしは時を越えて このお客様に寄り添い馴染んでいって
その方の年齢に合った美しさを演出してくれるもの
そう確信いたしました。   
 



【べっ甲・その美 ビデオ動画のご案内】
日本鼈甲協会という非営利団体である一般社団法人があります。
長崎 大阪 東京の鼈甲組合すべてが属する連合会です。
わたくしの祖父は長崎玳瑁琥珀貿易事業協同組合の初代組合長でした。
1988年 わたくしは 独自路線でやっていくため祖父が発起人となって設立した組合を脱会しました。
1993年 鼈甲の原材料である玳瑁亀の輸入禁止に伴う国の助成を受けて 
日本べっ甲協会が鼈甲細工を紹介する32分あまりのビデオを制作しました。
わたくしども 川口鼈甲店 を除くほぼすべての鼈甲関係者の知識を結集してつくったものです。
悲しみだけが夢をみる
いつの日か 玳瑁の輸入が解禁されることへの祈りが込められたものです。
わたくしどもは組合に属していませんので蚊帳の外でした。
各鼈甲専門店や鼈甲職人が大切にしている美術工芸品を持ちより
ビデオが制作されました。
川口鼈甲店の美術工芸品は除外されています。
2002年 鼈甲の資料や美術工芸品 制作工程の実演を催す長崎市べっ甲工芸館が長崎市松が枝町に開館しました。
「組合員ではないから」
と遠慮していたのですが
「そんなこと どうでもいいから 見に来てください」
というお誘いを受けました。
工芸館の館内で さきに制作されたビデオが上映されていました。
「長崎や東京の鼈甲組合がいくつも鼈甲を紹介するビデオをつくっているけれど
 このビデオは突出している
 過不足なくわかりやすく鼈甲について紹介してある」
と感じました。
お願いしてビデオテープを分けてもらいました。
ビデオ制作から27年の歳月が流れました。
2003年の春以降 ビデオを再生していませんでした。
ビデオテープは永く保管していると劣化して視聴できなくなります。
富士フイルムのビデオテープデータ復旧デジタル化サービスにお願いして劣化しないようにデジタル化いたしました。
日本べっ甲組合にある著作権を侵害しないよう 再生時間等を数字で表示するというフイルターをかけて頂いています。
川口鼈甲店のホームページにデジタルデータをアップしました。
You Tube 経由の処理をしていますのですべての環境で視聴していただけます。
最初の10分間は鼈甲のルーツと日本伝来から現在に至るまでの過程が紹介されています。
その次に鼈甲店が紹介されています。
最初は明治大正期の川口鼈甲店 
それから 明治大正期の二枝鼈甲店 平成期の川口鼈甲店 江崎べっ甲店 中古賀鼈甲店 の様子が紹介されています。
11分から28分まで 鼈甲の美術工芸品が紹介されています。
29分から2分あまり 鼈甲製品の制作過程が紹介されています。
わたくしにとっては 子供の頃から慣れ親しんできた 見慣れた光景です。
それでも 製造現場の映像を見ていると 胸が痛くなり 目頭が熱くなります。
「べっ甲・その美」


【修理不可のご案内】
長崎市にお住まいの方から鼈甲製品の修理についてのご質問を頂きましたので
質問と回答を原文のまま記載させて頂きます。
 
質問   
長崎市民です。とても懐かしく、また閉店を残念に思っておりました。
購入後に使用していく中、割れ・カケなどできた場合の修理など、どんな感じになりますか?
宜しくお願い致します。(2016年10月 6日 12時 41分)
  
回答   
ご質問ありがとうございます。回答欄は全角300文字以内という字数制限が設けられていて 300文字以内ではうまくお伝えできない内容ですので 字数制限のない商品説明の最下部に回答を追加記載させて頂きます。
 
わたくしは職人ではございません。
長崎でお店をさせて頂いておりました頃は職人を抱えていましたので修理をさせて頂いていました。
しかし現在は職人を雇用していませんので修理をする術がございません。
商品の修理は造り手と同等もしくはそれ以上の腕のいい職人の手に委ねないとうまくできません。
腕の良くない職人の手にかかりますと
どんなにすぐれた製品であっても不格好で悲惨なものになってしまいます。
幼児の工作のようなハリボテになってしまいます。
鼈甲製品は二つに割れたりヒビがはいってしまっても
水.卵白.熱.圧力を駆使することで接着部分がまったくわからない
新品の状態まで変幻自在に復元することができます。
しかし腕の良くない職人ですと接着部分が微妙にわかってしまうできあがりになります。
光沢がなくなってきた商品も磨き直しをすることでご購入時と同じ状態になります。
しかし腕の良くない職人ですと表面を必要以上に削ってしまい
薄っぺらで小さなデザインが崩れておかしなものになります。
わたくしの手元にあります商品は鼈甲業に勢いがあったときの腕のいい職人によるものばかりです。
鼈甲業は原材料の輸入禁止以前に入手した材料が尽きたところでおしまいです。
ほんの一握りの腕のいい職人は高齢で廃業していき息子さんにはあとを継がせていません。
長崎市浜町アーケード街.浜屋百貨店そばで鼈甲の専門店をいたしておりましたころは
他の鼈甲店の商品であってもすべての修理をお受けして
新品と遜色ないところまでの完璧な修理をお受けしていました。
わたくしの知る限り わたくしどもの商品を完璧に修理できる腕のいい職人は
日本国内には現存しないと思われます。
お使い頂いた後には必ず柔らかい布で拭いていただき
傷ついたりくもったりしないよう大切にお使い頂ければと
切望しています。
  
質問者様からのお返事   
ご丁寧に回答頂きありがとうございます。
以前川口鼈甲さんの前を通るたび、いつか落ち着いた大人になって持ちたいな・・・
と憧れていました。
いざ大人になってみると、浜町の素敵なお店がどんどん閉店し、
鼈甲も以前に比べ、大変貴重で、職人さんも減ってしまったようで、
大切にするしかないのですね。
参考にします。


【送料無料 (当店負担) 発送方法のご案内】
2016年の4月から個別の販売を終了して Yahooオークションのみの販売をさせて頂いています。
出品をはじめるにあたり
「わたくしどもの鼈甲製品を入札してくださる方はどなたもいらっしゃらないのではないか」
という不安がありました。
それから2年半 169点 (2018年9月10日現在) の商品を出品させていただきました。
入札に際してたくさんの方々に参加して頂きました。
定価を超える金額で落札して頂けることが増えてまいりました。
北海道や九州沖縄県の方には高額の送料をご負担頂いています。
実店舗での定価販売を常としてまいりましたわたくしにとっては
申し訳ないような複雑な思いがございます。
定価を超える金額で落札してくださった方の送料と遠方の方の送料の一部を
わたくしどもで負担させていただこうかと迷いました。
しかし それも違うような気が致しました。
それで 2018年9月11日以降に落札してくださった方の送料はすべて
わたくしどもで負担させて頂くことに致しました。

    宅急便VIP扱いについて
    VIP配送は配達の際 車中では専用の鍵のかかるケースに入れて管理され、
    お届けの際にはお客様にフルネーム確認をしています。
    また必ず社員であるSDが取扱い アルバイトや委託業者の取扱いはされていません。
    お受け取りの際には必ず認印かフルネームでのサインが必要です。
    (ヤマト運輸さんは個人のお客様からのVIP扱いでの発送は行っていません)



【出品商品の品質について】
わたくしどもの商品は原材料に余裕があった頃にお作りしたものですので
商品にボリュームがあります。
それぞれの商品のデザインに合う色彩の甲羅を
たくさんの原材料のなかからお選びしてお作りしたものばかりでございます。
電動式万力の圧力メーターの数字を見ながら鼈甲の原材料をプレスしていくのではなくて
手動式の万力を全身の力で回しながら圧をかけて
数字ではなくて勘を頼りに微調整をかけていく
製造効率など考えないで 納得のいくまで時間をかけて彫刻を施していく
数ミリの厚さの違いやほんのわずかな鼈甲色の模様の違い
労を惜しむことなく手間暇を費やしてみても
遠目にはさして変わらないように見えたりもしますが
商品をお付けいただいたとき
その商品が醸し出す存在感や立体感において
似て非なるもの
という大きな違いがございます。
鼈甲業界に余力があるときにわたくしが体調を崩したことでやむなくお店を閉じましたので
当時の勢いのある商品が手付かずで手元にございます。
鼈甲製品の作り手にとってゆとりがあったころに制作いたしました最期の作品を
丁寧に 少しずつ そしてできるだけ永く 
出品させて頂きたいという思いを新たに致しました。
  
2017年 秋.長崎に住む女性の友人からメールを貰いました。
オークションの商品 楽しみに見ています。
今回の簪も粋な感じで、女性なら誰しも憧れる逸品ですね。
(元の価格が安すぎのような~もっと高くでいいのでは??)
手鏡も素晴らしいです。
(鼈甲の手鏡初めて見ました)
川口さんの商品.贔屓目かもしれないけど他の出品とは何かが違う
別格です。
何気なく鼈甲屋さんにはいって商品を見回してみたけど
川口さんのオークションの商品のほうがなんかきれい….
前に出品していたきれいな飴色一色の銭龜さんどこにもいませんでしたよ。
オークションで落札できた人は幸せだと思います。
長崎で同じものを買おうとしても無いですから。


【長崎・軽井沢・川口鼈甲店】 
1997年春 郷土史研究史跡探訪グループ・長崎史楽会の会員の御老人が
西友長崎道ノ尾店で展示会をしていた会場へ訪ねて来られました。
「長崎新聞で川口鼈甲店 が 浜町のお店を閉店したことを知った。
私の先代は大正時代に船大工町の川口鼈甲店のお隣で鍛冶屋をしていた。
当時長崎の商人は目の前の商いで手一杯だった。
しかし川口の創業者は 
長崎で繁盛しても東京で認められなければ自分が商っているものは本物とはいえない. 
だから東京にお店を出す…  と言っていた。
当時 長崎の鼈甲は外国人が買っていた。
川口はその利益をすべて東京出店に費やした。
横浜市元町と東京市新橋にお店を出した。
長崎と東京は汽車で30時間以上かかっていた時代のこと
皇族方宮内省各宮家御用達になり.昭和天皇結納品の鼈甲化粧セットを納めた。
夏季には政府高官.各国の大公使が軽井沢に避暑に行くので軽井沢に出張所を設けた。
大正12年 関東大震災で東京.横浜の支店は全焼した。
太平洋戦争の最中 鼈甲の原材料は輸入できなかった。
昭和23年 川口の先々代は神田の旅館に宿を取り
長崎県庁東京出張所所長の渡辺氏と二人 管轄官庁の門前に座り込みをして
一か月通いつめることで官庁関係者が根負けして鼈甲原材料玳瑁亀の輸入再開 にこぎつけた。 
川口の先々代がいなかったら 今現在 鼈甲は日本国内の店頭に並んでいない。
太平洋戦争という地獄を経て鼈甲細工は消滅しなかった。
あなたは自分のお店の閉店は自分のお店の歴史に過ぎないと思っている。
でもそれは違う。
川口鼈甲店の生き死には 鼈甲文化の生き死にそのものなんだ。
あの悲惨な戦争を生き延びてきた。
鼈甲の原材料の輸入禁止は日米の経済摩擦によるもの
太平洋戦争とは違って経済戦争で人の命は奪われない。
経済戦争なんかで負けてはいけない。 ここで終わってはいけない。
このことをあなたに伝えなければ私は死んでも死にきれない。
今 こういうことをあなたに伝えることはとても残酷なことだと思う。 
でも ここで諦めないで頑張って欲しい 」
お酒の勢いを借りてお話をしに来てくださったその御老人の言葉が
わたくしの頭の中から離れることはありませんでした。

1993年 永六輔さんのラジオ番組宛に鼈甲についての思いを綴った葉書を出しました。
それがきっかけで 永六輔さんと親しいお付き合いをさせていただくようになりました。
年に数回お目にかかってお話をさせていただいていました。
2005年3月 近況報告の手紙を書きました。
ラジオ番組や講演会で永さんがわたくしのことを語ってくださいました。
「長崎で 川口 といえば 鼈甲 です。 
長崎の目抜き通りの真ん中に堂々としたお店を構える押しも押されもせぬ老舗です。
色々なことがありました。お店はなくなりました。
川口は体を壊しました。
いま  川口は転地療養のため軽井沢で暮らしています。
そして体調が良くなってきました。
僕も若い頃 体がとても弱かったんです。
信州小諸・軽井沢で疎開生活をしているときに元気になりました。
だから信州での転地療法が身体にいいということはよくわかるんです。
身体が弱い人が信州で暮らすとみんな元気になるということではないのですが,
元気になった川口は軽井沢で鼈甲のお仕事を再開しようとしているんです。
でも 今現在 お店はない。
お店はないけど 何かをしようとしている。
いまはまだ 鼈甲といえば 長崎 です。
でも 近い将来 日本じゅうの鼈甲愛好者のなかで
鼈甲といえば軽井沢 と云われるようになると思います。
だって 僕の友達である川口が軽井沢で鼈甲のお仕事を再開したのだから。
皆さんこのことを 頭の隅に留め置いていてください」
周りの人達から言われました。
第一級の文化人である永六輔からこれだけのエールを贈ってもらっていて
決起しなかったら漢 (おとこ) じゃない…」
そして思いました。
「身体が壊れているのだから そんなことを言われても困る。
 何より自分はそれほどの人間ではない」
以後 永さんとの距離をあけました。
それでも永さんの言葉はいつも心の奥で響いていました。 

25年以上のお付き合いのある長崎在住の女性の友人がいます。
雑誌の編集 全国誌の旅行ガイドの長崎版の制作に携わっている人です。
2017年12月30日 お互いの近況報告を兼ねて2時間ほどお電話で情報交換をしました。
「長崎といえば カステラ そして 鼈甲
鼈甲 といえば 長崎
川口鼈甲店が長崎の街からなくなってもうすぐ20年
鼈甲といえば長崎 というんだったら
長崎の鼈甲屋さんには川口のオークションの商品と同等もしくはそれ以上の商品が並んでいなければおかしい。
でも長崎の鼈甲屋さんの商品には
いまどき こんなもの誰が買うの…? というものしか並んでいない。
長崎といえば鼈甲  鼈甲といえば長崎
それは川口鼈甲店の鼈甲のことだったような気がする。
Yahooオークションの川口の鼈甲製品は20年以上前のもの
それなのに いま 長崎のどの鼈甲屋さんに並んでいる商品よりも新鮮な輝きがある。
オークションは それなりのものをそれなりの安い値段で買うためのもの
でも 川口の オークションはそうじゃない。
次から次に目新しい商品が出品される。
大げさな言い方をすると
世界の名画をオークションで落札して入手する
そういう異質の空気感がある」 
と言われました。

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